2001年1月16日(火)
本日の1枚
伝説巨神イデオン発動篇  Original Sound Track / すぎやま こういち

いつの間にか夜が明けていた。
今日も浮沈を繰り返しつつも一晩筆をとった。

こういう考え方はどうだろう?
今のどうにもならない自分が、どうにもできない自分が、全て絵を描くための道具であるとしたら。
それでもやはりどうしようもない自分を肯定することはできないだろうか?
つらくてつらくてやりきれない自分を肯定することはできないのだろうか?

苦しみも悲しみも弱さも記憶も感情も第六感でさえも・・・・・。
自分の存在全てが、絵を描くための道具だったとしたら。

楽になりたい。


2001年1月13日(土)
本日の1枚
I STAND HERE FOR YOU / 大槻ケンヂ

制作夜中の部の前PCの前に座る。
夜の部の制作中に落涙、これもまた展覧会前の恒例行事。
少々の解放感と空腹感を残し、涙は止まる。
大きな感情の揺れを体験するということは厄介なことであるが
同時に性的快感にも似た快楽の時間であったりもする。
泣くこともある種の解放行為であるから快感が伴っても不思議ではないか。
この行為は一番健康的なトリップ法であるのかも知れない。
ひとときだが全てを忘れられる、忘れるフリが出来る。

昨日病院へ行った。
自分が病気であるということは、創作活動においてなんのプラスにもなってはいないらしい。
少なくとも現在進行形のマルファン症候群患者としては。
病気によってもたらされた過去の数々のトラウマからは、まだ完全に脱することは出来ていないけれど。
いっそ何らかの宣告を医師からされないだろうかとここのところ思い続けている。
以前に同病の人から言われた、それは言っちゃだめだと、不謹慎だと。
だけど、人として、ただ空気を吸ってるだけでは、その存在価値はないに等しいではないか。
絵描きとして、何らかの刺激を受けたいと思うことは当然のことではないか。
胸を切った後のあの思いをもう一度取り戻したい、今の絵はどこか嘘くさい。今の自分はどこか嘘くさい。
だけど、オレはわかっているのだ、
病気であることに逃げ出したいだけ。安心して甘えられる場に行きたいだけだってことを。
いくら理屈を並べようとそれは単なる逃避願望の現われに過ぎないんだってことを。

生きることが苦しいことだって理解し、それを受け入れることに決めたならば、
少しは楽になるのだろうか。

そして自分の存在を肯定するため、マスターベーションにも似た行為を今日も繰り返すのだ。
油くさいこの部屋で。

鏡の中の自分はオレを馬鹿にしている。


2001年1月12日(金)
本日の1枚
UFOと恋人 / 筋肉少女帯

嗚呼、12月の日記も中途半端に終わってしまった。
今の生活リズムでは毎日書くのは不可能だし、その気力もない。
自分の記録という面では1日も欠かさず書ければいいのだけど。。。

本日通院を控えながらも、またもや夜中に筆を取っている。

展覧会前の胸の圧迫感はもう恒例行事みたいなもんだ。
この胸の痛みは幾日か自分の寿命を縮めていたりするのだろうかと考えてみたりするが、
このことを深く追求することが無益な行為だということをオレは知っている。
苦しみは「描くこと」で多少楽になったりするが、少し時間を置いて冷静に絵を観た時
その出来の悪さに愕然としたりもするのだ。
作品に時間をかければかけるほど、自分の限界を見せつけられてるようでつらい。
意味なし価値なし理由なし。
なんのために描いてるんだろうという自分への問いかけへの正確な答えを見つけようとすることも
無益だということをオレは知っている。

オレはナルシストでマゾヒストである。

表現することに悩み、苦しみ、酒やセックスやドラッグに溺れていった
過去や現代の偉大な表現者たちの気持ちが今のオレにはわかるような気がする。
狂いの世界に吸い込まれてしまった人の気持ちも。

現実逃避の手段としての描画はまたあらたな苦しみを産む。
そして苦しみから逃れるために再び苦しい現実と向き合う。
堂々めぐり。
やはり何をしようが自分自身からは逃れられないのだ。
自分という器を通している限り。

こんな風な日々をあと何十年過ごすことになるのだろう。。。

青いよな、青い青い。


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